怖かった。

疑われているんじゃないか。
信じて貰えていないんじゃないか。
そう考えていた相手が、突然目の前に現れて――――そうして、呼ぶのだ。わたしの名前を。

とても、とても、優しげに。

そして、手を伸ばされた。
話したいことがあると、だからこれから裏の神社に来てほしいと。

――――怖かった。

怖くて怖くて、へたり込んだまま、気付いたら泣いていた。

みんなを裏切っていた訳じゃない。
でも打ち明けられなかったの。その勇気がなかったの。
だってそれはわたしにとっても―――信じられないことだったから。受け入れたく、なかったことだから。

ごめんなさい。きちんとみんなに話せなくてごめんなさい。



「……ッ…!」



その時、微かに耳に届いた声。
目の前に彼はいる筈なのに、不自然なほど優しげに微笑んでいる筈なのに、
その声は背後から聞こえた。

優しくない、ぶっきらぼうで、それでいて切羽詰まっていて

目の前にいる筈の彼よりも、
その優しく名前を呼ぶ声よりも、

ずっとずっと、知っている声。











□■□










――――何よこれ。どうなってんの?

そんな言葉を、チルダは寸での所で呑みこんだ。今口に出してしまったら、それはすべて煙羅煙羅の言葉として体現されてしまう。
無言で、隣に控えている持ち霊の加奈江に目配せをする。
すると、やはり戸惑うような視線が返ってきた。

(何なのよあの子。何で泣き出す訳!?)

物陰から、そっと渡り廊下の方を見る。
そこには彼女の想い人に化けた煙羅煙羅の後ろ姿と、それを見た途端、まるで糸の切れた人形のように座り込んでしまった少女がいる。
――――そう、想い人。その筈なのだ。なのに。
少女の怯えたような、小さな嗚咽が風に乗って届く。

(ああもうどいつもこいつも!)

思い切り怒鳴り出したい衝動をチルダはぐっとこらえた。
この自慢の読心術を持ってしても、誰一人として引っ掛からない。
とぼけられたり、反撃されたり、何故か今のように突然泣き出されてしまう。
こんなこと、今まで一度もなかったのに。異例中の異例。

意味が分からない。泣きたいのはこっちだ。

『…どうするの、チルダ』

加奈江が尋ねる。

(どうするもこうするも)

あの少女はあそこから動こうとしない。
ならば次に取れる行動はおのずと限られてくる。

しょうがない。次行くわよ次。
そう言おうとして。





「失せろ」





背筋が凍りついた。全身の毛がぶわりと逆立つ。
――――動けなかった。

殺気。

まるで喉元に直接刃を突きつけられているような。
ひく、と喉がひきつるのがわかった。

煙羅煙羅の怯えが、手元の媒介から伝わってくる。
チルダは慌ててその殺気の方へ目をやった。

「――――?」

煙羅煙羅が、二人いる。最初はそう思った。
けれど。

すぐに、気付く。
あれは、本物の―――

「失せろ」

地の底から響くような声。
絶対零度を伴った、鋭利な刃物のような響き。

それは間違いなく。
物陰に隠れている筈のチルダ達の方に、向けられていた。

『っ、チルダ…』
「……に」

一瞬で頭の中が真っ白になった。

「逃げるわよ!」





――――蓮は、詰めていた息をようやく吐いた。
その拍子に、構えた馬孫刀が固い音を立てる。

どうやら敵はまたしても逃亡したらしい。
自分に化けていた霊が一目散に去ったのと同じく、近くに潜んでいた気配も消えたのだ。
恐らく、ルームサービスとか言ってきたあの妙な女達だろう。

昂っていた気持ちが、徐々におさまってくる。

「………」

久々だ。
あんなに―――感情をむき出しにしたのは。

蓮は、そっと手元を見る。

そこには、気を失ったがいた。

馬孫刀を片手でしまい、もう片方の腕で、力の抜けた彼女の身体を抱き起す。
ことりと胸元に小さな頭が寄りかかってきた。

「――――蓮!」

その時、背後からばたばたと足音が聞こえた。
振り返るとそこに―――葉がいた。

「良かった、無事だったんか! 何かよ、オイラの所にアンナじゃないけどアンナが来て、竜やホロホロの所にも来たらしくて、いやさ、あいつらんとこはアンナじゃなかったらしいんだが……って!?」

一気に要領の得ないことをまくしたてたと思えば、蓮の手元にようやく気付き、葉は目を丸くした。
この独特なペースに、どうやら敵が化けているのではなく、正真正銘の彼だと確信する。

「ど、どうしたんだ!」
「…たぶん貴様の言う奴らだろう。…俺がいた」
「へ?」
「俺じゃない、俺がいた。―――の前に」

けれどすぐに逃げた。
そう最後まで伝えると、葉はほっと安堵の息を漏らした。

「無事だったんだな…。でも、どうして倒れてるんだ?」

と、心配そうにの顔を覗き込む。
蓮は視線を落とした。
馬孫刀を持っている方の手を―――握りしめて。

「…わからん。――――こいつは」

泣いていた。
震えていた。
…怯えていた。

異常なほど不安定で。
そう、あのアシルの台詞と聞いた時と同じように。

それは、敵に怯えていたのか。
それとも、

(――――俺だと思って)

…怯えていたのか。

それはわからない。
でも。



――――――――気付いたことが、ある。


「―――おい」
「うぇっ?」
「何か用があったんじゃないのか」

そう問いかけると、葉は「お、おお、そうだった」と頷いた。

「どうやら向こうは、オイラ達が一人の時に仕掛けてくるみてェだから、皆の無事の確認も兼ねて、一つの部屋に集まろうって話なんよ」

そういえば、そう言う葉の息が若干上がっている。
どうやら自分たちを捜して、走り回ってくれたらしい。
を捜していた、先ほどの自分と同じように。

あの時駆け巡った想いが、じわりと、よみがえった。

「――――葉。悪いが…」
「?」

――――――――。

続く蓮の言葉に。
葉はふたたび、否、先ほどよりもさらに目を見開き、丸くした。

―――けれど。

「………わかった」

そう言って、不意に葉は微笑んだ。

「お前がいれば、安心だしな」
「………」
の傍に、いてやってくれ」

「……………ああ」

ぽつりと。
小さな小さな声で、蓮が頷く。
その表情は、周りが夜のせいか良く見えなくて。

だけど葉は黙って蓮の背を見送った。
を抱え、彼女の部屋へと向かう彼を。



――――悪いが…    今は、こいつの傍に居ようと思う



そう消え入りそうな声で伝えてきたその姿に、彼が、ひとつの答えを見つけたのだと悟った。
彼なりの、決着を。

また何か、蓮が自身にとって更に苦となる選択をしたのなら、きっと止めていた。
でも。
それとは少し違う気がしたのだ。

―――だから葉は、蓮のしたいようにさせようと思った。
そしてそのためにはきっと、他の誰もその場にいない方がいいのだとも。

敵はこちらが一人になった時を狙ってやってくる。
用心深い蓮のことだ、一度対峙しているならば、そうそう騙されることもないだろう。何せ自分でも一瞬で、アンナの姿をしていても別人であると判ったぐらいだ。
ならば。

きっと、だいじょうぶだ。

葉はそう確信すると、皆が集まる部屋へと向かった。










□■□










――――あたたかい。

どうしてだろう。
何だか手が凄く―――あたたかいのだ。
まるで、ふわりと柔らかなものに包まれているみたいに。

――――気持ちいい。

「…ん……」

ふと、目蓋の裏から朝日を感じて、は目をあけた。
ぼんやりとした視界の中で、古い畳の匂いを微かに嗅いだ。

(ここ…)

温泉宿の、部屋。
自分に割り当てられた部屋だ。
朝日に照らされて、襖が白く眩しい。

「………?」

どうやら自分は、布団に寝ているらしい。
でも。
―――昨夜、布団を敷いて寝た記憶なんて、あっただろうか?

それよりも、むしろ。

(すごく、こわいことが、あった…ような)

震えが止まらなくて。
涙が止まらなくて。
ただただ、謝罪と釈明だけが心を埋め尽くすほどの。
そうしてまた、自分の過ちだけが浮き彫りになっていくような。

だけど、

(――――ゆめ…だったの?)

こうして何事もなく、布団で眠っていたということは、

はゆっくりと起き上がる。
そうして――――ようやく、気付いた。

気付いて、その瞬間
心臓が止まるかと、思った。






どうして





「……れ、」





―――どうして?






目を、瞬く。
知らずに止まっていた呼吸を、再開させて。
穴が空くほど見つめる。

幻なんじゃないかと思った。
すぐに消えちゃうんじゃないかと思った。

だけど。

「―――――……、…」

気配に気付いたのか、の視線の先で、蓮が目を覚ました。
壁にもたれ、座り込み、眠っていた蓮が。

の手を―――握ったままの、彼が。

「…あ…」
「………」

蓮の金瞳が、ふっと此方を見る。
見つめ合う。

どうしよう。どういうことなんだろう。どうして。

は若干パニックになっていた。
蓮が自分の部屋で、こうして眠っていたことだけでも訳がわからないのに、
――――手が、あったかかったのは
こうやって、手を、握られているなんて。

「れ、蓮……」
「………」
「あの…」

何を言えばいいのかわからなくて。
でも、何か言わなきゃいけないような気がして。

そうして言いかけた台詞は―――相手が接近してきたことによって、頼りなく喉の奥で消えてしまった。

「…何も、ないか」
「え…?」

繋いだ手は、そのままに。
蓮が膝をつき、此方の顔を覗き込んでくる。

「俺が、わかるか?」

その質問の意図がわからなくて。
でも、とりあえず一応、はこくんと頷いておいた。
他に返答の仕方を知らなかったのもある。
なのに―――

目に見えてわかるほど、蓮が安堵した。

ますます訳が分からなくなる。
何があったというのだろう。

「――――

ああ。
この声。
夢の中でも、耳にしたような気がする。

小さくて、消えてしまいそうで、でも切羽詰まっているようで、必死で、

とても懐かしく思うのは―――どうしてだろう。



そうして目にした彼の顔は。
の初めて見る表情だった。



(……どうして)

こんなに、苦しそうなんだろう?

どこか痛いのだろうか。
何が苦しいのだろうか。

「お前に……話さなければいけないことがある」

どうしてこんなに、

「どうしても」

彼の瞳は、揺らいでいるのだろう?

「言わなければならないことがある」

の知っている強い彼とは違った。
の知っている鋭さを持った彼とは、違ったのだ。



「な、に…?」



だから、聞かなければいけない気がした。
たとえ―――自分が傷つく未来が待っているのだとしても。むしろ今までの事から考えればその可能性の方が大きかったけれど。

それでも。

蓮が、意を決したように口を開く。

「――――俺は、」




















が敵に狙われているかもしれないと、思った時。
身体が勝手に動いた。
ただ走っていた。
ただ、駆けていた。
彼女の姿を捜して。
そこにあったのは―――紛れもない焦燥感。

早く、早く
無事な姿をただ、見たくて

そうして、
やっと見つけた。

けれど、既に遅くて。
泣いている彼女の背中。ちいさなちいさな、震えている肩。

あの時、一瞬にして自分の身体を支配した感情。
気付いたら刃を相手の喉元に突きつけ、そして―――

崩れ落ちた彼女を、抱き締めていた。

理性で考えている余裕などなかった。
全部、全部、身体が勝手に動いた。

ただ、そう
それはひとつの感情から

いちばん最初からずっとあって、
ずっとずっと、心の奥に仕舞っていた思い。

気付かない振りをして、その内自分でも見失ってしまった想い。

ほんとうは、今だけじゃない。
先日の、アシルに押さえつけられている彼女の姿。
あれを見た時―――生まれて初めて、恐くなった。
喪失への、恐怖。

喪ってしまいそうだったもの
喪ったら……こわかったもの
それは


――――俺、は、

「俺は」

小さな手を握りしめる。
ああ、こんなにも、小さかっただろうか?
否。そんなこと、ずっと前から知っていた。知っていた、筈、その筈なのに。
どうしてそれだけのことで、こんなにも―――――胸が、痛いのだろう。

それだけのことなのに

「……俺、は」

どうして、こんなにも、懐かしいのだろう。





きみを、





すべてはあの夜から

ずっと、ずっと

俺は、思っていたのに





―――――まもりたいと。





「お前の―――負担になりたくなかった」

自分が傍にいることで君が不幸になるのなら
いっそのこと離れてしまおうと
最初はつらくても、いつかは慣れてしまうだろうと

そう、思っていたんだ。
…最初は。

守りたかった。
でも、守れなかった。
君を傷つけるばかりで。
君を泣かせるばかりで。
だから――――距離を置こうと思った。
君を、今度こそ傷つけないために。
それが最良の選択だと信じていた。


でも、

「出来なかった、っ…」

振り切ろうとして。
離れようとして。
それなのに、そうしようとすればするほど、あんなにも守りたかった君の笑顔がどんどん消えていった。

だけど、それを知っても尚、背を向け続けて。
大丈夫だから、一時のことだからと、無理やり自分の中で納得させて。
そうしてその内―――自分の気持ちすら見失って。

迷子に、なって。

けれど――――ようやく、見つけたのだ。
また思い出したのだ。
傷つけて、振り払って、喪いそうになって…やっと。

いつだって、自分の行動のはじまりだった。
―――彼女を、守りたいという気持ち。



でも
気付くのが、遅すぎた。



の顔を見つめる。
驚きで染まっているその目元は―――薄らと赤く腫れていて。
涙の跡。
胸の奥が、またずき、と痛む。
――――彼女は一体、どれくらいの涙を流してきたのだろう。

俺のせいで。

「……すまなかっ、た…」

その一言で、許されるなんて思っていなかった。
渡米する直前、シルバに対してあれだけの啖呵を切っておきながら、この様だ。
罵られ、蔑視されることも―――覚悟の内だった。

自分勝手な押し付けが招いた代償は、何であれ、受け入れるつもりだった。

「………」

けれど。
いつまで経っても、何も起きない。

――――?

蓮は顔を上げた。
すると…



驚きの表情のまま、固まっていると、目が合った。



…?」

そう呼びかけると、ようやくハッとが我に返る。

「…え、と」

おろおろと戸惑うように目を伏せて。
ちらり、と蓮の顔を上目使いにうかがう。

「……わ、わたし…」

どうすればいいのかわからない、という風な姿に。

「――――お前の好きに、してくれ」
「え?」

またしてもの眼が丸くなった。

「俺の今後を、お前が決めていい。俺はそれに従う。殴りたかったら好きなだけ殴れ。一緒に旅をするのが嫌なら、俺は消える。今すぐに」

他人に謝るなんて、ほとんど経験がなかった。
だから―――本当はどうしたらいいのか、わからなかった。
ただ、相手の提示された条件を呑む他なかった。それが正しいのかなんて、考える余裕もなかった。

たとえが蓮と共にいることを拒み、それでも葉達と旅することを望むのなら
彼女をパッチ族が迎えに来ないよう、遠く離れたところから見守ろうとすら、考えていた。

―――それが今の蓮にとっての、精一杯だったのだ。





なのに。



「蓮…どこか行っちゃうの? …、や、…いやだよっ…!」





今度は、蓮が目を丸くする番だった。





「な…?」

耳を、疑う。

だって
だって彼女は、今、

「やだ…蓮、いなくなるの、いやだっ」

まるで今すぐにでも消えてしまいそうなのを、引き留めようとするかのように。
彼女はもともと繋いでいた手を、ぎゅっと握りしめて、言う。
その顔に浮かぶのは、焦り。

まるで本当に―――嫌だとでもいうように。



――――本気、で?



「わたしが、わたしがきちんと言わなかったから? 千年前のことも、夢のことも、なんにもみんなに言わなかったから? だから蓮が…いなくなっちゃうの?」
「ちょ、ちょっと待て!」

だんだん泣きそうに歪んでいったの言葉を、慌てて止める。

「俺が出ていくのは…お前のせいじゃない」
「っでも」
「俺はお前が望めば出て行く。それは……俺のせいだ」

――――君に償う術が、見つからなくて。

でも、

「やだっ…」

君は、言う。

「そんなの、いやだよ…!」

こんなにも真っ直ぐな目で。

「っ…だが、俺は―――お前を傷つけることしか」
「それでもいい!」

今度こそ。
蓮は口を噤んだ。

それに対し、は必死だった。
言葉が、心からどんどん溢れてくる。ずっと胸の奥に仕舞いこんできた本音が。
ぎゅっと彼の手を握りしめたまま。

「いいの。少しぐらい傷ついたっていいの! 傍にいたい。傍にいて欲しい。わたしは」

―――今なら、わかる。の中で、形になる想いがある。
アレンと出逢ったあの森が、ずっと抱えてきた気持ち。
アレンに、大切な人に―――ずっと伝えたがっていた言葉。

「傷ついても、傍にいたいよ」

だってまったく傷つかない関係なんて、ないと思うから。
お互いに傷ついて、傷つけあって、それでも傍に居たいから―――それは、本物なのだと。
そう、だって―――傷つけてきた。蓮のことも。…リゼルグのことも。

「蓮は…」

は唇を噛んだ。
喉に引っ掛かるのは――――あの時の記憶。
蓮の、言葉。

『俺はあいつの事など………何とも思っちゃいないっ!』

でも、今、言わなきゃ。
きっともう機会なんてない。

「―――わたしのこと…きらい?」

それが、のずっと抱えてきた気持ち。
ずっと怖かった。ずっと怯えていた。
でも改めて蓮に訊くなんて、絶対にできなかった。だってそれを肯定されたら―――悲しくて悲しくて、死んでしまうと思ったから。
だけど今なら―――何故か訊けると思った。今訊かなければいけない、と思った。

蓮が目に見えて狼狽した。

「ばっ…そんなこと」
「…ちがうの?」
「あ、当たり前だ!」



――――――それを聞いて。



「…お、おい!」

頭上から、蓮の焦った声が降ってくる。
それでも、もう、何でもよかった。
力が抜けて。蓮に凭れてしまったけれど。

でも。

(きらわれて、なかった、ぁ…)

それは、深い深い安堵。
ずっと引っ掛かっていた最大の恐れが、今、なくなったのだ。

!?」
「あ…」

その時になってようやく、は自分の頬が濡れていることに気付いた。
ぽろぽろと目から溢れてくるそれは、不思議な程熱くて。

蓮の困惑した視線を感じる。
ああどうしよう。蓮が、困ってる。
は顔を上げた。
だいじょうぶだよ、そう言おうとして笑おうとしたけど―――うまく、いかなかった。

「―――
「?」
「…お前は、どうしたい?」

ひとつ、息を吐いて。
静かな声で蓮が尋ねてくる。

――――答えなんて、とうに決まっていた。

「蓮と、いっしょに、いたい」

ぐっと。
蓮の顔がゆがむ。
彼も泣くのだと思った。あんなにいつも無愛想だった蓮が、泣くなんて。

―――でも、彼は、泣かなかった。

「…わかった」

はあ、と、今度は大きく大きく蓮が息を吐いた。まるで肺の中の空気を全て出し切ってしまうように。
の肩を抱いて。そこに、こつん、と額をつける。
の方から蓮の顔を見ることは出来ない。
でも――――蓮の肩の強張りがとけていくのが、わかった。

の肩に顔をうずめたまま。
蓮は、思う。

彼女は共にいたいと言ってくれた。
ならば、今度こそそうしよう。彼女の望むとおりに。
そうして―――

今度こそ、彼女を守ろう。

傷ついてもいいと言ってくれた彼女を。
それでも一緒にいたいと願ってくれた彼女を。

たとえが傷つくことを是としても――――それでも、蓮が守りたいと思うのは、変わりないのだ。

そう、それが本当の気持ち。
一番最初からずっと抱えてきた自分の、真実。



―――――そして。
ほんとうは、もうひとつ。
自分の中で、気付いたことがある。



繋いだ手が、熱い。
小さな手を、両手で包み込むようにして。

がびっくりしたように蓮を見た。

その顔を見て―――――たまらない気持ちになる。
ああ、そういうことなのか。
今なら葉の言葉をすんなりと受け入れることができる。
理解することができる。

『すきなんだろ。のこと』





――――やっと、わかったんだ。





「どうしたの、蓮…?」
「…いや」

けれど、それは明かさないと決めた。
決して伝えないと。
遅すぎたのだ。

今だって身に過ぎた結果だと思う。
理由はどうあれ―――あれほどの仕打ちをした自分を。
は、それでも傍にいて欲しいと言ってくれたのだ。

傍にいたいだなんて
ほんとうは、こっちの、台詞なのに


もう一度傍にいて――――君を守れるのなら、もうそれで、充分なのだと。
それ以上の、高望みは、しない。出来る立場でもない。



名を呼ぶ。
すると君は、戸惑うように首を傾げる。

ああ、
…ああ。

込み上げてくる気持ちが、確かにある。

「…泣くな」

そう言って涙を拭ってやると―――ようやく君は、おずおずと笑ってくれた。




















それから、ふたりは色々なことを話した。
とは言っても主にの方からだったけれど。

ハオとのこと
千年前のこと
夢のこと
そして………リゼルグのことも

蓮は黙って聞いていた。
の決して上手くはない話を、最後まで聞いていた。

そして、

「――――葉達にその夢の話、出来るか?」
「………」

は無言で、目を落とした。
本当は、まだ自分の中で、整理がついていなかった。
その様子を見て。

「なら、無理しなくていい。お前が話したくなったら―――話せ。あいつらもきちんと待っている」
「………」
「その時は俺も、お前の側にいる」

その間も、手はずっと繋いだままだった。
まるでお互いに相手の存在を確かめるように。
そっと。でも、しっかりと。
それは、繋がれていた。